拇印がキャズムを越えるとき。〜たった1つの課題と解決法の提示〜
"拇印はかっこいい"
それが26歳にして、僕なりに出した答えだった。
ヤマト運輸さんの受取もサインではなく、おもむろに右手親指に朱肉をつけて押したいとここ最近強く思うようになった。(かじって血で押すとなお良い。)
名前がただただ彫り込まれた判子と拇印を比較すると、明らかに後者の方がかっこいい。誰が見ても一目瞭然である。
例えば、かっこいいの代名詞ゴルゴ13が(印)という部分に「ゴルゴ」という判子を押している姿を想像してほしい。全然かっこよくない。
しかし、おもむろに親指をかじり、拇印を押すと、「あっ、やっぱりこの人ゴルゴだな」となる。
にも関わらず、(印)というところに拇印を押している人を僕はこれまで生きてきて見たことがない。
なぜなのか。なぜこんなにカッコイイのに少数派なのだ。
ここである1つの懸念が生まれた。
"もしかすると書類的に有効性がないのだろうか"
すぐに調べた。
いくつか記事を見たところ、どうやら普通に有効らしい。
むしろ状況によっては実印より効果的とのことだ。
こうなると残された懸念はたった1つである。
手が汚れる。
これが拇印がキャズムを超えられないたった1つの課題である。
なんだ。それだけのことだったのか。
考えてみれば単純だ。すぐに解決策を考えた。
拇印の印鑑。拇印鑑の誕生である。
(※ 精巧な指紋のデータをネットに上げるのは何かすごく怖いので、今回は指紋部分をデフォルメ化し製作した。)
自身の右手親指の拇印をスキャンし、3Dプリンターを使ってハンコにした。
これで一切手を汚さずに思う存分、拇印を楽しめる。
唯一の課題が解決され、拇印での捺印が流行る。
今この瞬間、拇印はキャズムを超えたのだ。